もやもやモヤモヤ…

ここ2か月ほど、もやもや継続中。

気持ちのいい話ではないので、気が向いたらどうぞ。

(じゃあ書くなって話~ハハハ)




う~ん…話をしようと決めた時から、「理解しないだろうなぁ…」とは思っていた。

が。

ホントに分からないらしく。

それならそれで、当人の私に質問してくるなり、誰かに相談するなりすればいいのに。

私は自分の気持ちと、感情の動きを説明できるし、聞いてくるならば話すつもりがある。
そして、長年そばで言葉と行動を見聞きしているから、相手の事も説明できる。

相手とは『母』である。

決して「悪い人」ではない。ちゃんと生きている人。
私の感覚は、彼女から受け継いだものでもある。

けれど。

無意識・無自覚に「いい人」を演じる。
自分の感情を丁寧に扱うことをせず、でも「こういう自分」という固定概念はとても強く。
信仰者である事と日本人的奥ゆかしさが混ざり合った、めんどくさく、不注意な発言をする。
また、それは本人的にはギャグなのだ。

彼女の感情の経緯を言葉にするならこんな感じ。

「どうしてそう思うのか分からない。でも仕方ない。それが私だもの。悪気はないんだもの」
 ↓
「でも神様によって、この関係が直りますように」

うん。
確かに神はすべての人を赦すし、赦してる。
関係を改善する力を持っている方だよ。

だけどね?
『臭い物には蓋をする』のが、求められている「信仰」ではないんだよ。
目に見えて、耳に聞こえる改善点は、改善する努力が必要なんだよ。
「努力を放棄する = 信仰」ではないんだよ。

今までの経験上「こう言うんだろうなぁ…」。そして予想通りだった時も言わずにきていたのも悪かった。
彼女がよく言う「クリスチャンならば、自分で気付いて欲しいの」。期待もしてたよ、気づくのを。
でも私にも色々と限界が来ていたみたいで、プチンと切れた。

それ以降、ずっと言葉を交わさなかった。
彼女が「何かおかしい」と思うくらい、態度を硬化させていた。
父や教会の人とは普通なんだから、気づかないはずはない。
けれども何も言ってこなかった。おかしいと思っていたのに。

だから私は、どう話したら伝わるか、よく考えてから話した。
そして「もう流さない」とも言った。

でもその時の彼女の言葉は
「そう思わせたならごめんなさい。でもそんな風に思っていないよ、本当に」と
「それなら、もう話さない方がいいし、そうしないわ」だった。

次に会ったのは二日後。
「会えて良かったわ」…は…⁈

私が体調崩した時には『心配です』メール、礼拝の日には普通に話しかけてくる。
まるで何事もなかったかのように。あの時の話は一切触れても来ない。

…え…?
あの時の反射的に、本質を理解しないまま言った「ごめんなさい」で終わってるの?
私は答えないし、メールの返事も一切していないのにも関わらず?

実はいまだに彼女と話をしていない。自分でも「意地になってるかな。心狭いわ」思わなくもない。
だけど私は考えて欲しかったし、自覚して欲しかった。
でもそれはやっぱり無理みたいで、分からないから考えるのをやめたみたい。

現在の私には彼女の言葉が薄っぺらく、寒気をおぼえ、正直一緒にいたくない。
やろうと思えば、同じように話す事はできる。
関わる子ども達にも影響してくるから、そうした方がいいし、スッキリすると思う。
でもしたくないんだ。
「仲直り出来てよかったわ」軽く言われたくないから。多分言うから。

ふーーーーーーー…どうしたもんか…(-_-;)

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by masya-10de5 | 2016-12-17 02:04 | 自分の事