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また会う日まで

先週の土曜、4年ぶりにケータイを変えました。
画像のいいヤツです。
機能的(電話・メール・カメラ)には、ラクラク系で充分ですが…(^^;)

ピカピカ新しいケータイにウキウキ♪の私と、相方に入った初めてのメール。
それは、教会のNさんが天にかえられた…というものでした。







彼は病気でした。
調子が悪く、腰が痛くて、整形に診てもらっており、
内科系に行った時には、症状が進んでいたようです。

前夜式(いわゆるお通夜)で知った事ですが、Nさんは、

『延命治療も望まず、でも、神さまに早く苦しみから解放される事も願わなかった』

事実を受け止め、ご自分の命を、神様に任せておられたそうです。

検査一つにしても、ご自分で『要・不要』の選択をされ、
ご自分の葬儀の準備もしておられました。
奥様と牧師夫妻を交えて、あとで式に関わる人が困らないように、
本当に細かい所まで準備されていたそうです。
牧師が病院に行った時、それがファイルになって手渡されたそうで、
何ともNさんらしい。

今年の9月くらいに、私の実母と相方が、ご本人から、
「私の葬儀の時、『故人を偲んで』話してもらいたい」
いやいやNさん、それはどうなの?!…という気持ちは起こりますよね(^^;)
 ※当教会の葬儀では、式中に思い出を分ち合ってもらう時間があります

Nさんらしくて笑ってしまったのが、
『葬儀に来る人数の予想』
そこまで?!さすが理数系!!

教会の子ども達を大切に想い、関わってくれました。
『子どもも来られるように…』
通常よりも式の開始時間を早めに設定したり、
後の食事も、唐揚げやポテトフライ、テリーヌ、焼き鳥の串物系…。
クリスマスパーティーか?!みたいな(^^;)

モトもハコも、本当に大事にしてもらいました。
結婚式より、葬儀の参列の方が多いモトですが、
自分の大好きな、親しい人の死は初めてです。
「Nちゃんは、神様の所で、もう痛くもなく、安心しているんだ」事実を受け入れつつ、
でも「いやだ」という気持ちが交錯したようです。

ずっと「いやだなぁ」「じゃあ行くのやめる?」「それはもっとやだ!!」
火曜の告別式は、ハコは運動会の代休だけど、モトは学校…。
選択はモトに任せると、「行く」即答。

メールを受けてからも、前夜式・告別式も、帰宅してからも…たくさん泣きました。
でも話すと、「ふふふっ…」笑ってしまう、Nさんらしい話ばかり。
今日の婦人会でも、奥様と一緒に、みんなでNさんの事をたくさん話しました。
式では話しきれなかった、病院での出来事、Nさんの歩み。

クリスチャンには、『天国でまた再会できる』という希望があります。
現在の肉体ではなく『痛みも苦しみもない栄光の体にかえられる』という希望もあります。

だからといって、泣きも悲しみもしないわけではありません。
顔を合わせられない、声も聞けない…喪失感と悲しみは変わらない。
でもその人の歩んだ信仰の道を知り、悲しみの中にも、感謝が生まれます。

Nさんは、最後の最後まで淡々と、やるべき事を成し、Nさんらしさを失わず、
『走るべき工程を走り終え…(聖書)』天にかえりました。
それはNさんが「そうであろうとがんばっていた」わけではなく、
目を開けていられないほどの痛みの中でも、
純粋に、ただひたすら、神様に忠実であろうとしていたからです。
色々な人が語るNさんの姿に、信仰の在り方に、感動を覚え、励まされます。

そしてそれは「こうありたい」という願いに変わり、
Nさんが関わった人達は、「こんな風にしてもらったなぁ」という想いが残り、
具体的な愛の表し方として、その人に受け継がれていくでしょう。
その蒔かれた種が実を結ぶ時、その実を喜び、成長を喜ぶ事ができます。

悲しみの中にも、喜びがある。

これが『クリスチャン』である特権ではないか…と思います。

『天国で、神様のそばで、平安で過ごしている』と思える事は、
大切な人を送った人達に、何よりも大きな慰めになると思います。

心配したモトも、
「天国行ったら、Nちゃんに「僕の葬儀の為に学校休んで!!」怒られるかも」
悲しみと平安を味わっています。
by masya-10de5 | 2010-10-14 19:04 | 自分の事

 困った相方と子供達と作ったもの。


by ましゃ